時代を視る

2023年6月ニュースレター 時代を視る NO350

2023年6月10日

一般財団法人WIN WIN 代表 赤松良子

6月3日(土)に市川房枝生誕130年記念シンポジウムが、代々木の婦選会館であった。テーマは「いまこそ平和と平等」であった。これは先生の作られた「平等なくして平和なく、平和なくして平等なし」からもってきたキャッチフレーズで、上手に使っている。先生を代表する戦前のキャッチフレーズは周知のように、「婦選はカギなり」である。

この二つ、並べてみると、先生の戦前と戦後の活動がうまく浮かびあがってくる。女性に参政権のなかった戦前には、厳しい弾圧や悪口の下で、参政権獲得のために生命がけで闘われた。そして晴れて女性参政権が実現した戦後は、自ら国会議員となって、平和と平等のために大活躍をされた。先生の残されたものは、37歳年下の私の中にどっしり生きているが、一つは参政権であり、もう一つは「女性差別撤廃条約」である。

参政権の方は、毎年、何か選挙があり、(昨年は参議院選挙、今年は地方議会選挙)、私は選挙に行くたびに、市川先生のおもかげを偲んでいる。天気が悪いとか、疲れているとかで、棄権したいと思っても、市川先生に叱られそうだと思って、投票所へ足を運ぶこともある。

条約の方は、先生の晩年、先生と私をつないでいたと言えるので嬉しい。先生は、国連がすごい条約を制作しているというニュースを得られ、労働省婦人少年局婦人課長をしていた赤松に、どんな条約か入手してほしいと、電話で依頼してこられた。そして、それを待たずに、他界された。外務省を通じて入手された条約案は、先生のお棺の中へ入れられたと、後で聞いた。

その条約案が国連総会で採択された1979年、日本政府代表になっていた赤松は、賛成の挙手をし、さらに帰国後、それを批准するための必要条件となった、男女雇用機会均等法を作成する責任を荷う婦人少年局長となって奮闘することになる。

いつの日か、あの世で市川先生とお会いする日がきたら(先生が亡くなられた時、私は国連代表部公使をしており、ニューヨークに住んでいたので、お葬儀にも伺えずちゃんとしたお別れも言っていない)、先生があの世まで持っていかれた「女性差別撤廃条約を、日本はちゃんと批准しましたよ」とご報告をしたい。

勿論、すでにどなたかがしておられることだろうけれど、あの条約と均等法との関係を一番きちんと説明することのできるのは、やっぱり私だと思うからである。

「おう、よくやった!」と言ってくださるか、「何だ、そんな程度の法律を作ったのか?」と、不満をもらされるか、どうも後のような気がするのは、私のヒガミであろうか?