時代を視る

2019年5月ニュースレター 時代を視る No.231

2019年5月19日

win win代表 赤松r良子

~平成が終わり~

平成という時代が30年余りで終わり、まだ言い慣れないが令和という時代がきた。天皇退位という異例の出来事の結果の改元である。考えてみれば天皇は85歳、おそらく80歳を過ぎた頃から、その任の重さから開放されたいと感じられたのであろう。父天皇(昭和天皇)は87歳で亡くなられるまで、ずっと在位だったのだが、その大変さをじっと見て居られただけに、晩年できることなら、少しは自由になりたいと思われたとしても不思議ではない。生まれた時から皇太子(昭和のはじめはずっとプリンスはゼロであった)でそれも長くて大変だったことと察せられる。在位中30年間戦争がなかったのは何よりのことだったと云いたいが、同時に、戦争を知らない世代になっていくことの危うさも感じている。上皇(この言葉、歴史の本では知っていたが、まさか、実際出現するとは思わなかった)は、子どもの時、疎開先で淋しい思いをされたと聞いて、ああ同じ時代を生きた方なのだと実感する。つくづく戦争は良くないと思っている世代なのだ。そしてこの方は10代のはじめからヴァイニング夫人というアメリカ女性に英語その他の日常生活について学ばれたと聞いていた。私が津田塾時代、その女性が津田でスピーチをされ、身近にお目にかかったことがあるが、知性と気品にあふれたすばらしい方だった。クェーカー教徒であった夫人は絶対平和を信条とする方だったから、その影響も見逃すことはできないのではないかと察していた。

退位されてから後も、平和への想いだけは忘れず、上皇后と共に長寿を楽しんで頂きたいものである。ただ、気になるのは後継問題である。「男系の男子」などという時代錯誤な思想がまかり通っているのだろうか?

女性は人間にあらず、と云っているようなものではないか。明治時代に書かれた法規をそのまま21世紀に通用させようとすれば、男子そのものの

不存在で家族が消えてしまうことは、少し考えれば

判然とするではないか。その法規は、側室制度によって支えられてはじめて有効になるのであり、今日側室制度を復活するなどということは、いかにウルトラコンサバな人といえども、実現可能とは考えられないであろう。「男系の男子」という言葉自体性差別であるが、側室制度となると、これはまた何ランクか違う。封建時代にでも逆戻りしなければ作れる話ではあるまい。

昭和のはじめ、明仁親王(新上皇の名)の誕生前、数年の間プリンスが不在で、(プリンセスは3人あったが)国民が不安になり、昭和天皇に側室を持たれてはと進言されたことがあった。その時、昭和天皇は「そのような人倫にもとることはできない」ときっぱり云われたとも聞いた。天皇家が一夫一婦制となってそれほど経っていなかった時である。(明治時代まで側室制あり)その時、ティーンエイジャーだった私は、すごい言葉だと感心したのであった。21世紀の現在、まさか変なことを言い出す人はいないと思うが、思い出した言葉なので、言っておきたい。