時代を視る

2019年3月ニュースレター 時代を視る No.229

2019年3月10日

WIN WIN代表 赤松 良子

の中の役にたてるなら長く生きていたい。人の迷惑になるなら、さっさとあの世に行った方が良い。そう思うのは、まだぼけていない証拠だと言えるかしら・・・。しかし、これはあくまで天命だから、勝手に引き延ばしたり、短くしたりするわけにはいかないことも確かである。ただ、寿命の長短というものはどうも遺伝するらしいから、それを調べてみると、ある程度予想がつくのではないだろうか。だとすると、私の母方は長寿の人が多いので、喜んでいいやら、エライこっちゃと思うべきなのやら、である。

母は87歳で逝ったが(もう50年近く前)2人の娘(姉と私)は、その死を心から嘆いた。(私が人の前で大粒の涙をボロボロこぼしたのは、多分一生に一度ではなかったか)そういう意味では、母は子どもの頃運が良くなかったとこぼしていたけれど、晩年はその分取り戻せたかと一寸嬉しい気持ちに包まれる。

私が小学校の低学年の頃、母の故郷の高知に行ったことがあったが、80歳を過ぎたおばあさん(母の伯母)のことを、周りの人が「あの人、死ぬのを忘れてるんじゃろか」と言っているのを聞いて、子供心にも気の毒な気持ちがしたのを思い出している。ひょっとしたら、90になろうとする今年、自分がそう言われているかしら。何週間か前、仲の良かった友の訃報を新聞で見て、私より10歳近く若いのを発見して愕然とした。あの大物物理学者、米沢富美子氏である。彼女から贈られた自伝があったので、涙を押さえて手にとった。「人生は楽しんだ者が勝ちだ-私の履歴書」立派なものである。ただ一寸気になることがあった。曰く、「私の人生を総括すると『幸運』の一語に尽きる(中略)すばらしい父母と祖父母のもとに生まれ、すばらしい妹を持ち、すばらしい友人や先生と知り合い、すばらしい職業を見つけ、すばらしい人と巡りあって夫婦になり、すばらしい娘たちの母になり、すばらしい共同研究者と一緒にたくさんの成果を出すことができた。」とある。それはその通りなのだが、「自分が幸運だ」と大きな声で言うと、その運がどこかへ行ってしまわないかと、私は心配で、とても彼女のようにパーと言ったりはできないのである。

見かけによらず苦労性なのだナア。米沢さんには最後まで幸運がついていたではないか。

オヤ、そうばかりは言えないカモ! 彼女には大層ご高齢の母君が大阪におられ、毎週のように、東京ー大阪間を往復して介護にヘトヘトだったらしいと察していた。それというのも、母君が大層苦労して娘二人を育てたことを、深く感謝していたからである。その母君を妹さんの手に委ねてあの世へいかれたのは、心残りだったに違いないと、今、私の心は痛んでいるのです。