時代を視る

2018年4月ニュースレター時代を視る NO.218

2018年4月12日

WIN WIN代表 赤松 良子

「土俵と女性」をめぐって、相撲協会への批判が起こっている。一つは、京都府舞鶴市での事件。大相撲春巡業の開催者の市長が土俵上で挨拶をしている最中に、くも膜下出血で倒れ、居あわせた看護師の女性がすぐに土俵にあがって救急活動を行ったところ、「女性は土俵から降りるよう」三回にわたり行司が場内放送をして救命活動を妨げたという事件。二つ目は、兵庫県宝塚市で開かれた春巡業で、地元市長が土俵上で地元市長としての挨拶をすることを要望したが、市長が女性であることを理由に協会が認めず、市長は土俵の下で挨拶をしなければならなかったという事件である。何でも、女性は土俵にあがれないというのが長い間の伝統だからというのだが、舞鶴市の方は、人命にかかわることより伝統が大切なのかという疑問があがり、宝塚市の方は開催市の首長に対して無礼であるという批判である。

近頃、相撲協会は御難続きで、かつての名横綱貴乃花をめぐっての内輪もめが報道されていたが、そんなことは私達にはさっぱり分からないから、とりあげることはしない。しかし、この団体が伝統、伝統といいたて、女性を差別する傾向については黙っているのはよくないのではないかと思われる。

20世紀の終わりに、珍しく官房長官に女性がなり、優勝杯を首相の代理として渡す役をするという事態になったことがある。この時も協会は伝統だからといって官房長官が土俵に上がることを固辞し、長官もさることながら、夫君が発言力のある衆院議員であったことから大問題になったのだった。

時は移り、さらに「女性の活躍」の時代となった。女性が人命にかかわるような救急活動をしたり、市や県の首長になったりする時代になった。にもかかわらず、どこかの団体の中心人物の頭はさっぱり変わっていないのは困ったものだというしかない。「伝統」がそんなに大切なら、江戸時代のように、女に相撲が見られない、ということにしたらどうですか? 女が男のハダカを見るなんてけしからんことじゃありませんか?

「いやいや、それはできませぬ。協会がつぶれてしまいます。観客のマジョリティーは女です」

それによく考えてみたら、そもそも相撲の始まりは、奈良時代だかの女相撲だったというではないか。協会だって、大事な伝統を取り払ったこともあるのだ。あの巨大だった四本の柱を観客への配慮から取り除いて、屋根を天井からぶら下げたのだった。 時代が変われば、伝統を考え直すのはむしろ当然ではないか。いつまでも、不合理なものにとりすがっている者に輝く明日は来ないということを世の賢者は知っている筈である。