時代を視る

2022年2月ニュースレター 時代を視る NO334

2022年2月10日

win win代表 赤松良子

2021年は友人知人が多く逝かれた年であったが、22年も早々と、友人というわけではないが(むしろ対極)、思い出に残る存在と言える人が亡くなった。元東京都知事の石原慎太郎氏である。もう四半世紀以上も前のこと、石原氏の二期目の知事選の時である。

親友が、反石原のシンボルとして、立候補することになったところ、選対責任者に、赤松になれということになり、そういうことに何も経験がないのにと言ったのだが、候補者自身、経験ないのに、立っているのだから、受けなければ女がすたる、とガンガン言われて引き受けることになった。

選挙の経験といえば、まだ学生の時、恩師の藤田たき先生が参議院議員に立候補された時、トラックに乗って、候補者の名前を連呼して都内を走り回ったことがある。

候補者は勿論、トラックの上から手を振って、「よろしくお願いしまーす」と怒鳴っておられた。お歳は50代だったかと記憶しているが、慣れない仕事でかなりお疲れになったようで、決められた時刻が過ぎると、あとはがっくり口もきかずに横になられていた。

候補者本人、選対責任者、トラック・ガール、それぞれ内容は異なるが、身体が大変なのは、共通している。病弱というわけではないが、頑健とも言えない私には向かない仕事だと感じた。トラック・ガールなら、「疲れましたから」と休めるが、候補者本人は、そんなことはできない。そう思っていたから、何度かすすめられても、私は立候補しなかったのは、意気地はないが、正解だったと思っている。

その点、石原氏は身体強健、見るからそうだった。享年89歳というのも、男性としては相当な長寿といえよう。

この方と私が直接対決したのは、国会・予算委員会でだった。議員の石原氏が、文部大臣(当時)の赤松を指名したのだった。質問の内容は忘れてしまったが、私は平常通り準備をし、丁寧に答えていった。ところが石原議員は、私の長広舌に辟易して「分かりました。分かりました」と、続きをカットしてしまった。

議員規則で、質問と答弁合計で〇分というカウントになるので、答弁が長いと、質問時間が短くなってしまうので嫌なのであった。そこで答弁を長々とやる戦法をとるわけだが、あとで議事録を見て「関係のないことを長々しゃべっている」などと言われるのは面白くないから、そこは適当に、という駆け引きが出てくる。

石原氏が知事時代にはどんな答弁を都議会でしておられたかは、残念ながら聞くチャンスがなかった。度胸のある人だったから、いい答弁が多かったであろう。

それも今は昔。一つの時代が去った、との感がする。