時代を視る

2016年5月 ニュースレター 時代を視る Vol.194

2016年5月10日

WIN WIN代表 赤松良子

4月10日は日本の女性が始めて選挙権を行使した日、そして今年は70周年の記念日であった。それを祝って女性達は各種イベントを催した。私が出席したのは東京でのものだが、 他の都市でもSister達がそれぞれに集まりを持たれた事であろう。

そしてまた、今年は男女雇用機会均等法の施行30周年にあたる。1945年の公職選挙法の改正と1985年の均等法成立とは、日本近現代史とくに女性史 の中での二大快挙というべきものであろう。勿論、憲法の改正とそれに続く民法その他 諸法の改正が女性の地位を大きく向上させたわけだが、それを支えているのが参政権であり職場での差別禁止であることは疑いない。この関係について、私が印象深く忘れない会話を思い出す。

 均等法案作成のため、シャカリキに根回しをしていた1984年の4月10日に、私(婦人少年局長)は当時の経団連のトップの方を訪ねて、わが国の女性労働者の実情を説明し、女性差別をなくすための法律が必要であると力説をした。

相手は日本を代表する超一流の大企業の会長であり、スマートで上品な 紳士であった。 どう見ても英国仕立てと思えるリュウとしたスーツで口ぶりも穏やかなのだが、内容は びっくりするようなものだった。私は、その日が4月10日であることを意識して、「今年は日本で女性が始めて参政権を行使した日ですが、これについてどうお考えですか?」と会話の口火を切った。それから40年も経っており当然のことと受けとめておられるものと期待しての質問だった。ところが答えは、アニハカランヤ、「ああいうものを持たせるから、 歯止めがなくなっていけませんな」であった。私は唖然として、しばらく二の句が継げなかった。気を取り直してでも会長の会社にも、立派に働いている女性がおられるのではありませんか?」と云ってみた。「ウン、それは確かにいる。私の秘書も実に良い社員だった。感心だから後妻の口を世話してやった」ときたたいていの事にはくじけない私だったが、これにはあきらめる他なく、この日は戦果空しくオフィスへ帰った。お気に入った秘書なら、責任のある職につかせたのかと思いきや、後妻の世話とは・・・。でも考えてみれば、この会長さん、明治生まれで80過ぎ。見た目はモダーンでも頭の中は間違いなく明治男だったのである。この方の会社は非常に立派な企業なのに、女性差別(若年定年で訴訟の対象になった)の点では悪名高いところだから、そのトップは女性の参政権にさえ片腹痛い想いを持っておられたのである。30年前のお話しと笑って済むのなら結構だが・・・。

そういう方達が、健在な時代に作った法律なのだから、不十分なものであったが、後進達が改正に努力して「努力義務規定」が「強行法規」になった。政治の分野で、クオータ制が日の目を見れば、低迷してきた女性の地位も改革されるのではないか。法律がなくても政党がその気になれば7月の参院選に実行できるのではないか、「ああ、さつき、日本の野は・・・」と期待をしたい。(ああ、さつき フランスの野は火の色す 君もコクリコ われもコクリコ・・・《与謝野晶子》を口ずさみつつ)