時代を視る

2016年1月 ニュースレター 時代を視る Vol.190

2016年1月10日

WIN WIN代表 赤松良子

2015年も終わろうとする12月16日に最高裁が重要な判決を出した。民法750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従ひ、夫又は妻の氏を称する。」の規定を憲法に反するものではないとしたのである。政治の世界では戦争のできない国からできる国へと大転換した年の末に、少しでも良いニュースがあれば、と願っていたのが、叶わなかったのは残念というほかはない。

国際的にみても、夫婦同姓を強制している国など21世紀には稀な存在であり、我々の目で見ても、明治民法のこの規定はあまりに時代おくれである。私事ではあるが、それぞれ結婚前の姓を維持することとし、知人への結婚通知の文面でそのことをしるしたのは60年以上前のことであった。その際、戸籍の氏をどちらにするか、ジャンケンで決めようとしたとの噂が流れたが、(提案はした)そうではなくて話し合いで決めた。パートナーが、ジャンケンの結果で自分の姓になれば、世の中の慣習と変わらぬ印象を与え、面白味がないから、私=妻の姓にしようと提言したのである。

その頃の私達は、男女平等になった憲法、それを受けた民法の理念を実践しようと、意気込んでいたのだった。そのあと、実生活の中で氏を変えて通称使用していることの不便さを身に沁みたパートナー(パスポートのことなど)が、若気のいたりだったと後悔しているのを、気の毒と思いつつ、しかし、世の中の女性の多くは結婚するとそういう目にあっているのだと考え、これは制度が良くないと、長い間思い続けてきた。

国会で民法改正する道はずっと開かれてあるのに、そして法制審議会がはっきりと、改正を促したにも関わらず実現しなかった。法務省が改正を準備したのに、国会の状態を考えて法案提出を断念したとも聞いた。世紀が変わっても、国会の状況は殆ど変わらず、いやむしろ保守化しているのか、夫婦別姓を認める改正など望むべくもないのではないか・・・

だからこそ、旧姓使用を希望する国民が最高裁ならと望みを託したのを退けたのが今回の判決であった。その時代遅れへの不満をどこへ持って行けば良いのだろう?せめてもの慰めは、15人のうち5人の少数意見があり、3人の女性判事は全員そうであったということだ。もし、女性判事の割合が半分だったら、どうなっていたかを考え、クオータ制⇒パリテに思いをめぐらせたのは、おかしいだろうか?いやいや、男女の利益が相反する問題を取り扱う意思決定の場こそ、構成が男女半半でなければフェアでない。自分が属しているわけでない少数者の人々の人権を尊重するということは容易ではない。しかしそれをしなければならない人間がある。社会の公正を守るために強い権限を与えられた人である。

夫婦同姓は社会に定着しているから強制してもよいというのは、多数者の発想そのものであり、そこから抜け出られない人まで同じ権限を持っているのだと考えると腹立たしく、また、それに対して何もする事のできない自分を情けなく思いつつ年を越しました。