時代を視る

2022年11月ニュースレター 時代を視る NO343

2022年11月10日

win win代表 赤松良子

 

2024年上期に大きな楽しみがある。5000円札の顔が、津田梅子先生になるというので、早く出ないかとワクワクしているのである。

私が生まれたのは1929年8月24日、先生が亡くなられたのが8月16日。つまり、先生がなくなられて8日後に私がオギャーと生まれたわけなのです。津田の学生だった頃は、あまり勉強に精出さず。それというのも食べものがあまりひどいので、ヒマな時間には、ニワトリを飼っている農家を探して、小平の野を歩き廻っていた。何故?トリが居れば、玉子を売ってくれる可能性が高いからです。津田先生はいろいろ苦労をされたと思うが、こんな苦労はなかったでしょうね。先生が亡くなられたのは65歳。

何だか早い気がするが、当時としては、そんなに早死というわけではないのでしょうが、もっと長く生きて、津田の卒業生の活躍するのを見て頂きたかったという思いはする。

 

そんな時代が本格的に来るのは、やっぱり太平洋戦争が終わった後だと思われるからである。良い例は、戦後創立された労働省の婦人少年局長7人のうち4人までが津田の卒業生(後の3人は、日本女子大、東京女子大、東京女高師で一人ずつ)。学者の例を考えてみても、津田の後東大へ行き、研究室に残り、国際的に名を知られたあの人、中根千枝教授が思い浮かぶ。政治家なら、森山真弓氏。初の官房長官、文部大臣。(婦人少年局長とダブル)。

 

オット 外交官は初の大使 高橋展子氏が東京女子大。残念ながら津田ではありません。

そこで 津田先生について、伝記は数多く出ていて、絶版になっていたものが、5000円札発行の余震で、文庫本でまた出たりもあり、現津田塾学長高橋裕子氏の岩波ジュニア新書「津田梅子」も最近出て、写真も多く出ていて楽しめる。

私がオッと見つけて嬉しかったのは、星野アイ元学長の若きころのお写真であった。私が津田塾専門学校に在学当時は「星ちゃん」とお呼びしていたけれど、もう50代にはなっておられたと思うので、若いころの星ちゃんのチャーミングなお顔をジッと眺めてあきない思いである。

津田先生はもちろん塾の創設者であり、星ちゃんは中興の祖であるから、お札にはならなくても何かの形で残ってほしいと願っている。

大庭みな子の「津田海子」は、著者が私より一年後輩で東寮時代からよくおしゃべりして楽しかった思い出のある人なので、30年前の旧版をしっかり保存し愛読している。残念なことにその大庭さん20年も前になくなってしまわれ、彼女をしっかり見送ってくださった夫君の捻夫氏もみまかられ、みな子さんの思い出をお話しすることもかなわなくなった。せめて新版の「津田梅子」を入手して、「みな子さん」と呼びかけようと思っている今日である。