時代を視る

2014年1月 ニュースレター 時代を視る Vol.167

2014年1月10日

WIN WIN代表 赤松良子

2014年の新春を迎えたがあまりめでたい気持ちで、ペンがとれないのは残念である。年があけたばかりの3日の早朝に、東京のど真ん中で火事が起こり、夕方まで消せなかった。その影響で東海道新幹線をはじめ、山手線、京浜東北線、横須賀線等とまってしまった。私はこの日鎌倉までと思っていたのだが、取りやめ。Uターンラッシュの人々の混乱ぶりをTVで見てお正月というのは、なるべく動かない方針でいるのが正解と感じた。その時しか遠出できない人達は仕方がないのだから、暇のある人間まで動き回るのは迷惑であろう。今年85歳を迎えるにあたって考えたことは、長寿というもの、世の中の役に立つことがあるなら、人を幸せにすることができるなら、生きているのは良いことだ。迷惑ばかりかけるのは困りものというごく当たり前のことである。

 

もう一つ、めでたい気持ちになれなかったのは年末の首相の靖国参拝の記事である。

 

先の戦争で父や夫、兄弟、親族、友人を亡くした方は大勢おられ、その方達が親しかった人が祀られているという神社にまいられるのはしごく当然と思う。また、親しい人というのではなくとも、故国のために戦って亡くなった方達に感謝の気持ちを伝えたいと詣でることもこれまた自由である。問題は、行政府の長である総理大臣がその肩書きの下で正式に参拝することの可否であろう。憲法20条(信教の自由、国の宗教活動の禁止)との関係もあるし、外交上の問題もある。憲法問題はいろいろ説があって限られた紙面ではとても紹介しきれない。「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」に靖国神社は該当するのか否か、しないと言い切れるよう望みたい。

 

外交上の問題は、とてもないとはいえないだろう。現に韓国や中国は明らかに不快感を表明している。余計なお世話などと言えるものだろうか? 残念ながらとてもそうとは思えない。同盟国のアメリカでさえ失望の意を表明した。

 

大戦が終わった時15歳だった私は良く覚えている。小学校に入る前から、近所のお兄さん
が出征(兵隊になって行く)して行く時、日の丸の小旗を振って見送ったものである。

 

「歓呼の声に送られて、今ぞ出で立つ父母の国」の歌を唱って・・・。つまり、お兄さん達は自分の国の中で戦争はしないで、海を越えた向こうの大陸で鉄砲だの大砲だのを撃っていたのだ。敵の弾にあたって死んだ人が「名誉の戦死」と呼ばれて一片の骨になって帰国し、そして靖国神社へまつられたわけである。若い命を見知らぬ場所で散らした人が気の毒なのは勿論だが、自分の住んでいる場所で他の国の人間がドンパチをやって占領して、バンザイと言っているのを見ているのはたまったものではなかっただろう。その記憶を持つ人々が靖国神社へ日本の首相が参拝すると知ったら、折角おだやかになろうとしている顔を逆なでするようなものではないか。それも承知のうえ、領土問題で外交がギクシャクしているのも承知のうえで、政権樹立後1年経ったのを祝って参拝したということなのだろうか? 問題の特定秘密保護法への反発がそれほどでもないと甘く踏んでのことなのだろうか? 今年日本が戦争への道を進もうとしているのであるなら、とても新春を祝う気にはなれないではないか。心配は、3日に大火事があった事だけではないのである。