時代を視る

2015年8月ニュースレター No.185

2015年8月10日

WIN WIN代表 赤松良子

8月という月! まさに猛暑である。毎年の事ながら・・・。いやいや今年はもっとひどい。

35度を超す日が1週間以上続いているというのは前例が無いという。こんな史上初は

有り難くない。そしてこの月、つらい思い出のある月である。広島、長崎への原子爆弾投下、

それも人類史上はじめての惨事だった。次いで15日! 敗戦の日である。

この日についての記録は今までにも多種公にされてきたが、今年は70周年にあたるという

ので例年にもまして数多く出ることであろう。

その中の一つ、「日本のいちばん長い日(半藤一利)」は著者が大著「昭和史―戦前編、戦後編」

「幕末史」をものにした私と同世代(昭和5年生まれ)の方であることも手伝って関心をもち、

熟読をした。これが実際に書かれたのは50年も前であることは「あとがき」で知ったし、単行本

(決定版として)が出版されたのが20年前であったこともわかったが、実際当日おこったことで

知らなかったことが何と多いことか。今頃知ったからといってどうなるものでもないが、どんどん

国民が死んでいくのを目前にして、なお表現の片言隻句にこだわって議論を続ける閣議の

実態を読むにつけ、腹立たしさが吹き上がってくるのを押さえきれない。

大局を見るのを忘れ、議論に勝つことにばかり夢中になる男たちが何と多いことか、

もしかしたら、それは今でも変わってないのではないか。

救いは、トップのお二人(天皇と首相)が、腹をくくり、自身の生命のことは考えず

(本当に危なかったのだ)降伏と決めて実行したのは立派だった。

「降伏」の詔勅を聴くに忍びず、前日に割腹自殺する陸軍大臣も武人の華と言い得るか。

このような存在のため、より多くの国民が死ななくとも良い死を迫られたのだと言うべきか、

この人が好きか嫌いかで言うならば「とても好き」と小さい声で云ってしまいそうになる。

なにより、覚えておかねばならないことは、「物事は始めるより、終える方が難しい」

ということであろう。「整然たる退却をなしうるものはけだし名将である」と陸相がつぶやいて

いたとは、著者の推測なのであろうが・・・。

あの日、8月15日は日曜で上天気、朝から空襲警報のサイレンが鳴らない珍しい日だった

から、15歳の私は友達3人と芦屋(兵庫県)の浜辺で海に足を浸していた。

(危険だから水泳はいけないと云われていた)正午に重大放送があるからというので、

近くの民家でラヂオを聞かせてもらい、敗戦を知った。「戦争負けたんや、ニッポンが」

と口々に言い乍ら、涙をポロポロ流したのは、去年の事のようでもあるし、やっぱり

ずっと昔のことのようでもある。

だがあの日の前日、強いハズの軍人たちが、大泣きしていたとは知らなかった。

まして天皇が泣き乍ら閣僚たちに語ったなどとは。私達軍国少女にとって、天皇陛下は

毎日御真影に最敬礼をしている対象だったのにである。

あの少女は今85歳、この8月に後輩たちにどうしても言っておかなければならないことは、

「戦争だけは絶対しないように」である。