時代を視る

2019年2月ニュースレター 時代を視る No.228

2019年2月10日

WIN WIN 代表 赤松良子

先頃、ヨーロッパの経済団体が、世界で大きな影響力を持つ100人の女性の名を発表して反響をよんだ。その第一位はドイツのメルケル首相、第二位はイギリスのメイ首相、第三位は、IMF(International Monetary Fund )のラガルト専務理事だという。フムフムと分かる気がしたが、少し納得がいかないのは、日本の女性は一人も入っていないというからである。アジアから10数人があがっているのにだ。しかし、考えてみると、残念なことに、日本には首相になった女性は憲政史上一人も“存在しない”のはたしかである。1945年までは選挙権、被選挙権さえなかったのだから、当然だとしても、戦後はそれらが男女の差なく得られたのに、首相はおろか、主要閣僚ポストにさえついていない。森山真弓官房長官、川口順子外務大臣は、伴食大臣とはいえないポストではあるが、これとて、たまたま内閣の中でそれらの席にいた閣僚が突然失脚したので、後を臨時にうめたという感じであったと記憶している。唯一の例外が、土井たか子で、1985年の政変で最大野党(社会党)の委員長であったのを、衆院議長にまつりあげたのである。この時、彼女が首相になっていれば、日本にも女性の首相があったと云えるのだが、衆院議長は格からいえば同じとはいえ、実権からは随分差のある、いわば名誉職である。折角「婦人の10年」という追い風が国連から吹いてきていたのに、好機は去ってしまった。

長い間、政権を独占してきた自民党はもともとconservativeなのか、女性が主要ポストにつき難いのか、大きな女性が育っていないようで、党首あるいはそれに準ずる席に就いた女性は一人もいない。対して社会党からは、土井たか子委員長の他にも田中寿美子、久保田真苗というような大物の名前があり、副委員長という党三役の一角を占めていた。しかし、政権をとることは無理で、万年野党の座に甘んじていたのだったから、結果、日本には女性の首相は出ていないという残念な状況にあるわけだ。

さらに、国会議員の割合も女性は衆院でわずか一割、参院で二割という少なさ、これが足を引っ張って女性の地位が全体として世界で100位以下という、先進国とはいえないような水準になっている。さらに地方議会も、日常生活に密着した内容を議論すべき場であるにも関わらず、女性の比率はやはり一割、おまけに女性がゼロという議会さえ二、三割もあると聞く。こういう状況を何とか変えたいという思いで、WINWINが1999年に発足、具体的に道をつけるべくクオータ制を推進する会を立ち上げ、赤松政経塾を開いている。

地方議会選挙と参議院選挙のある2019年、どのくらい、女性が伸びるか期待と心配が相半ばする新春であった。