時代を視る

2018年10月ニュースレター時代を視る NO.224

2018年10月10日

win win代表 赤松 良子

10月はじめに内閣改造があった。新閣僚中女性はただ一人。「女性活躍の時代」が聞いてあきれる。5、4、3、2人と減ってきてついに1人。アガサ・クリスティの小説を地で行くつもりか、「そして、誰もいなくなった」にはまさかならないとは思うが・・・

これには、男性記者もよく言わなかったから、さんざんの評判!「いや片山さんは、二人前三人前のパワーだ」と首相は反論したというが、これはどう贔屓目に見ても下手な詭弁にすぎない。さすがに懲りて、副大臣は奮発して5人となったが、それでも20%にすぎないのだから、低く設定してある30%の目標にも達しない。おっと、その後の政務官、これはなんとびっくり、たった一人! 大した役でないから、うるさく言うなというつもりか。しかし、これが最初のステップなのだから、ここに人がいなければ未来に展望は開けない。それというのも、自民党に女性議員が10%しかいないことが、根本的に問題なのではないか。これが原因で、日本の「女性の地位」が国際指標で三桁という情けない有様になり(2016年)、ヤレヤレと思っていたら、さらに下降(2017年)という状態である。

2020-30というかけ声は、とっくにどこかへ行ってしまったのか??? パリテというかけ声をあげたら、本当に閣僚半分を女性にし、議員も選挙法を改正して、苦心の末あみ出したやり方で、何とか半・半に近づけようとしている国もあるのに(フランス)。わたし達の国って、すごい後進国なの? と愚痴を言いたくなるが、そんな愚痴、どの国へ持って行っても聞いてくれる人はいないでしょう。みんな「自分の国の中で苦労して、女性の割合を増やして来たのよ」と笑いものにされるのがオチであろう。

だいたい、日本の女性は、参政権=政治参画に関しては甘いところがある。自力で、命がけで勝ち取ったものでないからだ。敗戦(太平洋戦争の)直後、占領下にあった時、マッカーサー司令部の指示で、あっという間に公職選挙法が改正され、翌年(1946年)4月10日に20歳以上の全国民が投票し、39人の女性が当選して衆院議員になったのだった。だから、婦人参政権はマッカーサーの贈り物と、揶揄されたりしていた。勿論、大正時代から昭和のごく初期にかけて、平塚らいてふ、市川房枝たちの参政権獲得運動があったことは確かだが、多くの国民を巻き込むほどの広がりとならぬ間に、軍国主義の台頭によって若い芽をつぶされてしまったことは残念な歴史である。

だから今、私達は、腹がたった時の我慢などせず、内閣改造に不満なら、それを言うべきだと思う。できたばかりの「政治における男女機会均等法」を活かし、現存の政党に対し、そして政権に対し、クオータ制を実施せよと、声高く要求しようではないか。