時代を視る

2014年3月 ニュースレター 時代を視る Vol.169

2014年3月10日

WIN WIN代表 赤松良子

今年の冬、東京は珍しい大雪が何回も降った。この程度の雪は、雪国の人々にとっては苦情を言うほどのものではないのかも知れないが、普段備えができていないので、色々支障が起きた。しかし、2・26事件のような出来事はなかったのでホッとした。というのも、もともと雪とあの事件とは因果関係があったわけではないのだから、ナンセンスなのだが、近頃、日本を「戦争のできる国」にしようと考えている人々がでてきているのが気になっているのである。それも他ではない、この国の首相なのだから、心配するなと言われてもせずにはいられない心境である。

 

最近の報道で、首相が「集団的自衛権」についての憲法解釈を変更するため、積極的に動いていると伝えられている。従来、法制局(法解釈の専門機関)が、憲法9条の解釈を厳格にして、集団的自衛権(自国のみでなく、密接な関係にある他国が攻撃された場合反撃する権利)を日本は有してはいるが行使はできないと言い切っていた。首相はこれを変更して行使もなし得るとするため、外堀を埋めようとしている。即ち、「法の番人」の首をすげ替える方針だというのだ。法制局の長官は代々局生え抜きの官僚が就任してきたのを、変更して集団的自衛権行使に前向きな元外務省局長を起用する方針を固めたというのである。

 

日本とアメリカとは同盟関係にある。日本が他国から攻撃を受ける可能性はそんなに大きくないが、アメリカは世界中に勢力を張り巡らした大国だから、その可能性は、はるかに大きいと思われる。個別的自衛権だけならば、行使する機会は少ないが、アメリカが攻撃を受けた場合に、反撃するということになれば、武力行使する機会はずっと大きくなるのは明らかである。つまり、「戦争のできる国」になっておかなければならないということになる。「戦争をする国」になる準備をしておくと言いかえることもできる。

 

前の大戦が終わった時、私は15歳だった。以来70年近く、日本は戦争をしなかった。だから、私は戦争をしている国も、平和な国も両方ともよく知っている。物心ついた頃は、まだおだやかだった世の中が、2・26事件の頃から次第に軍靴の音が高くなり、平和とか人権とかいう言葉がタブーになっていった。極地的な戦火だと思っていたら、どんどん拡大して、真実は知らされないまま深みにはまり、気がついたら、日本中焼け野原になってしまっていた。それでも平和になったから元気を出して働いて、だんだん豊かになっていくのを味わった。そして今、思う。戦争がどんなに残酷で理不尽なものかを全く知らない世代の人たちが増えて、私達知っている人はどんどん居なくなる。だから、言っておかねばならない。絶対に戦争をしてはいけませんよ。平和を大事になさいよ。日本が、こう長く、平和と繁栄を享受できたのは憲法9条のおかげですからね。それの解釈をねじまげて、集団的自衛権を行使できるなんて言いたて、「戦争のできる国」になろうなどと危ない橋を渡ってはいけませんよ、と。