時代を視る

2021年6月ニュースレター 時代を視る NO326

2021年8月20日

win win代表 赤松良子

本と花 そして友情

壮年の頃から私は、「本と花、そして友情に囲まれて晩年を送りたい!」と思っていた。90歳を超えて、その時期がきている今、どこまでそれが実現できているだろうか、を考えてみたい。

本と花とは、財力があればある程度は用意することができる。友情の方は、それだけでは得られない、心がけが必要であろう。つまり、「恩誼(おんぎ)に報いる」気持ちである。これは、言うは易く、行うはかたしで、気持ちだけはあっても、状況が許さなければ、実行することが不可能な場合が少なくない。一番はじめに考えられるのは対象がいなくなってしまうことである。「孝行したい時には親は無し」というのがその最初の状態で、私もとっくにそれを味わった。

そして、最近7歳上の姉が亡くなり、似たような状況になった。数え年なら99歳―白寿になっており、天寿を全うしたといえるから、その晩年を安全・安泰に過ごさせてくれた近親者にお礼を言いたいと思ったのに。そして何より、姉自身に子供の時から、とてもお世話になったことへの感謝の気持ちを伝えたいと思ったのに、県を超えての旅行はしないようにとの知事の要請もあり、新幹線の旅は感染の危険が大きいとの声も聞こえ、とうとう関西行は断念した。

この数カ月、私はタクシーで行ける範囲でしか動いていない。電車にもバスにも乗らない。県(都)を超えるどころか区(港区)を超えてさえいない。

(幸いofficeは同じ区内である)それを、いきなり関西へ行っては「九仞の功を一簣に虧く」であろう。仕方がない。でも、でも、である。

91年前、オギャーと生まれた時、姉は7歳、「妹が生まれたア」と大喜び。生まれたての赤ん坊を抱いて赤十字病院(大阪)の廊下を駆け回ったと言われていた。赤ちゃんの脳に悪かったのではないかと、後で心配したというが、幸い、妹良子の脳は変にもならなかったようである。(本当か?)

それ以来、90年余、親から「妹の面倒、ちゃんとみてやりなさい・・」とも言われ、迷惑に思ったことも度々あったに違いないけれど、姉という自覚を忘れなかった。7歳も違うと、私がまだ小学校にも入らない時に姉は女学校に入り、英語というものを見せてくれた。「津田リーダー」の第一頁、‘This is a pen’だった。大きな声で、ディス イズ ア ペンと読み、これはペンです、と訳をつけてくれた。これが私の英語との出会いだから、姉は大事なお仲人というわけである。

姉は女学校を出た後、洋裁の勉強をしていた時期があり、私の洋服もいろいろと縫ってくれたのであった。家にミシンはあり、布は母が買って用意したものだったと思うが、でも姉がせっせと作ったわけだ。

それにひきかえ、私は姉に何もしてあげることがなかった。「恩誼に報いる」ことをしていないのである。せめて息のある内にお礼を言いたかったのにそれもできなかった。「私のせいでなく、コロナのせいです」とつまらぬ繰り言を言っています。すみません!