時代を視る

2015年10月ニュースレター時代を視る NO.187

2015年10月10日

WIN WIN代表 赤松良子

秋の彼岸も過ぎ、さわやかな秋になった。残念なことに、日本の国には安保法という暗雲が覆ってしまい、とてもさわやかという状態ではないが・・・。

今年は戦後70年ということで、いろいろ催しも行われている。婦人参政権も終戦の年に実現したのだからやはり70周年である。終戦は8月、公職選挙法改正は12月であったが。そして実際選挙権が行使されたのは翌年の4月10日で、その選挙で女性が39人も当選したのだった。私は16歳で選挙権は勿論無かったが、大正時代からの参政権運動のこと、その闘士であった

市川房枝のことなど聞きかじっていたので、マッカーサーの贈り物だという皮肉な声が聞かれても、婦人参政権の実現という歴史的事実として大喜びをしたと記憶している。

その後、選挙制度の改正をモロにうけて、女性国会議員の数は1桁に減ってしまい、39人の記録を越すのは容易ではなかった。民主党が政権を得た2009年54人の女性が衆院議員に当選し総数の割合も2桁になったのだが、2012年の選挙で民主党は大敗、その時女性議員も54人から38人になってしまった。2014年暮れの選挙で、45人に回復したものの9.5%で1割にも満たない有様である。これには自民党の責任が大きく、ここはいまだにオジさん(オジイサン?)の党で、「女性の活躍の時代」などと云うのは、かけ声だけというのが国民の実感であろう。

女性の地位の国際比較で、日本が順位を下げ続け今や世界中でビリの方というのは全く情けない話しだが、それというのも政治参画の少なさ、具体的には議員の数のさが足を引っ張っているのだ。何故こんな状態が続いているのだろうか。日本の女性は、教育水準は一見とても佳である。健康状態も良好で、出産時に命を失うことなど殆ど無いし、そもそも子供を少ししか生まない。スポーツをしても、Wカップを争ったりできるほどの実力を示している職業上の地位となると、男女の賃金差の大きさは目立つものの、昇進、昇格上の差別は法律で禁止されている。だから、やっぱり一番の問題は政治分野での状態であろう。それも、選挙には棄権をせずに出かけてゆくのだから、そのレベルは一応クリアしている。立候補の割合が低く、そして上がらないことが問題点である。考えてみると、日本の婦人参政権運動というのは、あることはあったが、英米などのそれと比べると、おだやかなものであった。そして数としても多くはなく、広がりを見る間もなく、台頭した軍事政権に弾圧されてしまった。15年も続いた戦争のあと、運動を復活させるヒマもなく、「棚からボタモチ」のように手に入れたのだった。従って有権者は余裕があるというのか勇ましくない。社会には「男は仕事、女は家庭」という意識がはびこっているから、大和ナデシコは政治家になりにくい。それやこれやで、女性議員は増えない。一方他国にはクオータ制というものが普及し、その影響で女性が明らかに増加したので、日本の順位が低落したのである。しかし、ここであきらめるのは能がない。

近年追い越された韓国に負けじとクオータ制を実現するほかにはないというのが、女性参政70年のの感慨である