時代を視る

2017年2月 ニュースレター 時代を視る Vol.203

2017年2月10日

WIN WIN代表 赤松良子

新聞やTVなどをみていて、物事の実体が良く分からず、背景が読めず、途方にくれることが時にあるが、今年になってシリアで起こった邦人人質事件がまさにそうであった。「イスラム国」という耳慣れぬ言葉が紙面に踊っているが、そんな国があったという記憶はさらにない。英語では「State」という字を日本語で「国」としたのが良いのか、「国」というのは一定の地域を占有し、その住民の生命、財産を守り、国際社会から承認を受けたものを考えるが、今度のイスラム国というのは、それに該当しているとは考えられない。その「State」と日本との間に国交があったわけでは勿論ないし、全く掴みどころがない。

1996年春にペルーで起こった日本大使館公邸人質事件を思い出しているが、あの件は、ずっと規模が大きく、相手の要求も一貫していたようであった。(仲間の釈放)しかし、人命救助を第一とする考えと、強行突破を辞せずとの主張が対立し、解決が長引いた。ペルー政府が特殊部隊を大使公邸に突入させ、邦人24人を含む71人の人質が救出されたのは、事件発生から127日を経過していた。攻撃用のトンネルを公邸周辺に掘っていたとか、SF小説ファンなら胸がドキドキするような情報も伝わり、日本中で大勢の人々がニュースに釘づけになっていたのだった。

今度の事件は短い期間で、意味もよく分からぬまま無残な最後であった。テロに対して何とも名状し難い怒りだけが残っている。 そしてこの事件を奇貨として、自衛隊の海外後方支援のあり方を考え直して行こうという動きに懸念を感じ始めた。というのも昨年前半から安倍内閣が宿願の集団的自衛権の海外紛争国での行使ということが現実みを帯びて来たからである。独立国といえるものは、すべて自分の国を守る権利=個別的自衛権を持つ。そして、他国と攻守同盟等を結ぶことによって集団的自衛権を持つことがある。日本もその例外ではなく集団的自衛権なるものを有している。しかし、憲法9条の制約のもとで、その権利を行使することができない、というのが戦後一貫して積み重ねてきた憲法の解釈であった。自衛隊は自国が侵略された場合武力を行使できるが、その限界内で必要な戦力しか有さない、従って国外でおこった紛争に介入すること=集団的自衛権の行使、をすることはできない、というのが有権的解釈であると考えられてきた。ところが、昨年内閣がこの解釈を閣議決定という形で変更し、集団的自衛権を海外で行使することは憲法に違反しないと宣言したのである。このような改変が一内閣の決定でなし得ることなのか、甚だ疑問で議論は決着を見ていない時点であるのだが、これまでは幸い具体的な紛争は発生していなかった。今回のテロ事件も、自衛隊を必要とする種類のものではないのだが、世の中何が起こるか分からないのだから、その時のことを考えておかねばならないという議論が浮上し、国会が開かれていない場合での自衛隊後方支援への道を「恒久法」制定で開く考えを示した。

「戦争のできない国」から「できる国」へ、そして「戦争をしない国」から「戦争をする国」へと進みたがる人々をどうしたらストップできるのだろうか。こんな時ほど自分の影響力の乏しさを情けなく感じる時はない。