時代を視る

2017年10月 ニュースレター 時代を視る Vol.211

2017年10月10日

WIN WIN代表 赤松良子

安倍首相が伝家の宝刀を抜いた。即ち国会(衆議院)解散-総選挙である。大義名分なき解散と批判の声があがったら、ナント「国難」に対処するための解散ですと。開いた口がふさがらない!!

昭和一桁生まれの私にとっては、「国難」とは馴染みのある言葉である。先ず、こういう歌を覚えた。――四百余州をこぞる十万余騎の敵。「国難」ここにみる 弘安四年夏のころ――あの蒙古来襲→神風→神州不滅 というわけで、立派な国に生まれたことを有り難く思え、と教え込まれた。そして政府=陸軍が、国難だ、国難だと騒ぎ立て、無謀な戦争を引き起こし、本当に国難にしてしまった。しかし、日本国民はがんばって、一度は焼け跡になった国を立て直し、戦争は懲り懲りよと平和を愛し、民主主義の国を守って今日までやってきた。ところが今また「国難」なのだそうである。一体何が起こっているのか? 天皇が退位したいと言い出された。皇室典範にその規定はない。でもこれはちゃんと受けとめられて処理されていく予定だから、国難とは言えない。

北朝鮮が核兵器を持ったらしい。日本の上空を越えてグアム島にまで届くという。すは一大事、これが国難か、それもちと大げさではないのか。遠い中東の方でさわぎが興った。大変だ。でも随分離れた場所での出来事だから、「国難」というのは当たらないだろう。

アメリカでも騒ぎがあった。一衣帯水の西海岸だ。でも太平洋は広いからロスの騒ぎを「国難」というのも当たらないだろう。要するに、「国難」といえるほどのことは普通の目で眺めたのでは見つからない。よほどすごいメガネをかけて見ている人が政権を持っているのか?

「少子高齢化」が続いているのを「国難」と首相が捉えていると聞いたが、これまた、

ピンとこない話である。本当の国難といえる時代を過ごして来た年代の者にとっては、その言葉やたらと使ってほしくないものである。内閣の支持率が下がることは、国難とは全く違う時限のものだという位、常識のある国民には分かるものである。選挙の結果、自党が大敗でもしたら、それこそ国というつもりなのかしらと興味を持たれてしまうではないか。「オオカミ少年の話」というのを子供の時に聞いた人は多いでしょう。「オオカミが来たよう」と言って人を驚かせて面白がっていた少年がいた。何度もそれをやっていたので、みんな、ああまたあれかと思うようになり、本当にオオカミが襲って来た時、その少年が大声を出して騒いでも、誰も助けてくれず、彼はオオカミに喰われてしまったという、あのお話。だからいい加減なことで人を驚かしてはいけないよ、大事な時に、人が助けてくれなくなるのですよ、ということを、政治家も知っておいた方が良い。総選挙で与党が過半数をとれず、総辞職を迫られるような事態になったら、それは本当にオオカミが来た!という事なのでしょう。

おや「希望の党」とやらはオオカミではなくて羊なのかしら、党首が女性だからと言って、羊とは限らない。注意深く見守る必要があると、WINWINは思っている次第である。