
時代を視る
2025年9月ニュースレター 時代を視る
2025年9月15日
一般財団法人WIN WIN 代表 山口 積惠
今年もまた残暑が厳しいのですが、吹く風にかすかな秋を感じるようになりました。気象庁の発表では、今夏(6~8月)の平均気温は、統計を取り始めた1898年以降で、最も高かったといいます。そして、地球温暖化の影響で、今後も平均気温は上昇するという見解をまとめています。
ところで、この季節、亡くなられた赤松良子さんの「夏は読書」という言葉を思い出します。赤松さんは大変な読書家でした。自宅ではまず、朝刊をチェックすることから一日が始まると言っていました。新聞は複数紙を購読しており、隅々まで読み、その傍らには愛猫が寄り添っていたようです。そして、晩年は夏季の外出を控えていたこともあり、自宅で相当な量の本を読破されていました。ある年の夏のニュースレターでは田辺聖子氏、司馬遼太郎氏、冲方丁氏を読み、中でも司馬遼太郎氏では全4巻を完読されたことを記しています。WINWINのスタート時から亡くなられる1カ月前まで、25年以上もの間ニュースレターの原稿を書き続けた、赤松さんの瑞々しい感性の原泉は読書だったのかと改めて思いました。
女性議員を増やしたいと活動するグループは全国に点在していますが、今回紹介するのは29年間(休会期間を含む)にわたり活動を継続してきた「鹿児島県内の女性議員を100人にする会」(以下、「100人にする会」と略)です。「100人にする会」の発足は1996年、代表は平神純子さん(鹿児島県・南さつま市議会議員)です。発足のきっかけと女性候補者の発掘や地域への呼びかけ、具体的な選挙支援などについて聞きました。実は平神さんが初めて市議に立候補して当選したのは1995年。選挙当時、彼女は臨月(3人目)でした。地域では人々が「あのお腹の大きい候補者は来たかい?」と噂したそうで、当時としては異色の女性候補者だったようです。
「どうして会を作ったかって、1991年の統一地方選が終わった時点で鹿児島県内の女性議員比率は1.0%で全国順位が45位。その後の95年の選挙後でも1.5%で47都道府県中46位。それを知った時に、正直悔しくて何とかしなければと思いました」と平神さん。県内には島も多く、小さな町や村では女性議員が出にくい環境であることを考えると、ますます遅れをとるのではないかと考えました。加えて、当時は県内の市町村議会に女性議員が一人もいない「ゼロ議会」も目立ちました。「女性議員100人を目指し、女性議員ゼロ議会をなくそう」と、活動をスタートしたのです。
その動きはパワフルです。鹿児島市内で政治参画セミナーを開催して周辺の市町村の女性に働きかけ、離れた市町村での出前セミナーも行いました。
行政キャラバンの取り組みでは、島を除く52市町村の首長にアポを取ってから出向き、女性議員の必要性などについてアピールしました。セミナーで候補者を発掘するのはもとより、立候補を志す女性がいるらしいと聞けば会いに行き、初めての選挙となればポスターやチラシの作成などを伝授し、ポスティングまで一緒に行います。選挙期間中は選挙カーのコース決めを行い、同乗、演説のアドバイスをします。これをすべてボランティアで行ってきました。
発足当時、県内の女性議員数は28人でしたが、2023年には98人になり、2025年に100人になりました。「これまで個別に呼びかけて会いに行った女性はおそらく100人を越えます。発掘から選挙(当選)までかかわった候補者は15人です。この活動を始めた時は、私が生きている間には100人になるとは思えませんでしたが、ここ5年間で変化を肌で感じています」という平神さん。次の目標は「まだ女性ゼロ議会が6町村あります。うち5カ所が島です。これからも議会の合間をぬって島に通い、人材を発掘していくつもりです」と言い、取材時にはゼロ議会のひとつである長島町に戻って立候補しようと考えている、都内在住の50代女性と対策などを話し合っていました。2027年の統一地方選挙をさらなるターニングポイントにしたいと、平神さんは話しました。
総裁選の前倒しをめぐっては、9月7日に石破総理が辞任を表明したことで次の展開となりました。辞任の記者会見で、記者から「しかるべき時期がきたら辞任すると言っていたが、それがなぜ今なのか」という質問があり、石破氏は「米国との困難な関税交渉に一定の成果がみられたことでこの時期になった。大統領の発令まできっちりやっていかねばならないと考えていたからだ」と答えていました。今後の総裁選の行方に注目していきたいと思います。
(理事・甘利てる代)

