4月の日本は、おくれはしたが桜が咲き、不安定な寒暖ながら、春はやってきた。内政では郵政民営化問題、外交は反日デモに象徴される日中関係の悪化に注目が集まった。下旬には衆議院の補選もすみ、世の中が幾分静かになったかと思われた25日に、兵庫県でJRの大事故がおきた。福岡の地震がやっとおさまったかと思えば、今度は人災とは・・・・。心が痛む。
一方、日本の外での大きなニュースは、ローマ法王の死去、それに続くコンクラーベ、新法皇の選出だった。四半世紀にわたって、11億のカトリック教徒の頂上にあったヨハネ・パウロ2世は、晩年はパーキンソン病のせいで、痛々しい姿ではあったが、必死で十字をきって人々に祝福を与える様子は、使命感の権化のように見えた。ポーランドに生まれ、ナチの迫害を身をもって経験したこの方は、平和への希求がきわめて強く、老齢と病躯にも関わらず、多くの国を歴訪して平和を訴え続けたといわれている。アメリカによるイラク攻撃にも強く反対し、深い憂慮の表明をしたと聞く。危篤の報を知った信徒が、セント・ピエトロ寺院の大広場をうめつくして、法皇の平癒、そして安らかな眠りを祈った時、その平和への希求を共感していたことであろう。
ところで、コンクラーベで選ばれた新法皇は、ヨハネ・パウロ2世と同様に保守的で、同性愛、妊娠調節(中絶はもちろんのこと)にきびしく、教会内の改革にも前向きでないと伝えられている。コンクラーベにしても、選挙権、被選挙権を有する枢機卿はすべて男性で、その下位の司教ですら、女性がなることはできないのである。キリストが、「女が教えることや人の上に立つことをわたしは許さない」といったからだというのだが、その理由として「アダムはへびにだまされなかったのにイヴがだまされてしまった」という旧約聖書の話があげられているのだから、今日なお説得力を持ちうるのだろうか? コペルニクスの天動説やダーウィンの進化論を法王庁が認める時代になったのなら、アダムとイヴの物語は、女性差別の根拠にはできない筈だと考えてしかるべきではないのか。