5月中旬の10日足らず、韓国のソウルで過ごした。先進国36が参加するユニセフ国内委員会の年次総会の開催国が今年は韓国だったためで、私にとって初めての訪問であった。外国旅行と言っても、飛行時間わずか2時間、時差はゼロという楽な旅、これまで近くて遠い国と残念に思っていたのが、文字通りの近い国になったのを嬉しく思っている。
この間、日本では大きな変化はなかったようで、10日間の新聞をざっと眺めても「アッ」というような記事は見つからなかった。外国では、英国の総選挙で、与党労働党が敗れ、戦後はじめての連立内閣が成立、43歳の保守党と自由民主党の党首がそれぞれ首相と副首相に就任したのは大きな変化だといえよう。かつて労働党の若いブレア党首が、総選挙にあたって女性候補者が当選し易いように選挙区の割り振りをして、勝利を得、長い働党政権の礎を築いたのに、後を継いだブラウン前首相は、選挙の最終段階でインタビューをした女性有権者について程度の低い悪口を言って、外し忘れたマイクで全国に放送されてしまい、これが労働党の命とりだったとさえ言われる始末。
アジアでは、タイ・バンコックでの暴動・混乱は収まっておらず、フィリピンでは大統領選挙で、かのコラソン・アキノ大統領の長男が当選したと報じられていた。
韓国を訪れたのは初めてだったが、その国の女性事情には、かねてから関心を持っていた。WINWINの勉強会でも、2002年以降のクオーター制について研究発表が持たれたし、春木育美著「現代韓国と女性」は書店で見つけて大変参考になった。政治的には民主主義を実現し、経済的にはOECD加盟を果たすまでに成長し、最近かげりを見せたとはいえ、ソウルの町は活気があふれているように感じた。
そうした中で、特に女性が元気と言われ、日本女性は政治参画の面などでは追い越されたという話なので、その原動力は何なのかをぜひ知
りたいと願っている。
きちんと資料も読んでからでないと、結論は出せないが、今日のところ感じているのは次の点である。
政治参画、具体的には全議員に占める女性議員の急増の原因はクオータ制の採用であったことは疑いないが、それを可能にしたのは、活発な女性団体の力、その背景にある女性の地位の向上、職業進出であり、上から促進したのは金大中大統領(1998〜2003)下で設立された女性部の存在であろうか。因みに、韓国の女性差別撤廃条約批准は1984年(日本は85年)であり、これの履行のため男女雇用機会均等法(日本のものに類似)が制定されたのは1987年のことである。
私がソウル滞在中特に聞きたかったのは、戸主制廃止に対する女性の関心だった。社会の根幹をなしているかに思えた戸主制を定めた民法を改正することがよくできたものだと驚きをもってニュースを聞いたのが記憶に新しいからである。戸主になれるのは男性のみ、姓は父から子へのみ継承されるというこの制度は、女性差別の象徴的なものだから、その廃止を求める女性の運動は長く激しかったという。一方結婚しても姓は同一にはならない伝統的な制度については、女性の地位の低さといわれていたのが、今や結婚後も職業を続ける場合(増加)の利点として捉えられ、生まれた子どもに、父母両方の姓を名乗れることを選ぶ夫婦が出てきていると聞いた。選択的夫婦別姓を求める声が長いのに決着を見ていない日本の現状を重ね合わせて、興味深い議論ができたと喜んでいる。